起き得ない事故

兵庫尼崎JR福知山線で大事故発生 犠牲者90人余り 負傷者400余り
電車が脱線してマンションに突っ込み 
一両目は完全にマンションの駐車場に入ってしまった

【抹香鯨の鉄道事故年表(http://home.t01.itscom.net/jikoku/jiko1960.htm)より引用 】
1962(昭和37)年 ●1962年5月3日 「三河島事故」(死者160名・負傷者296名)

(概要) 1962年5月3日21時37分、東京都の常磐線三河島駅構内で、下り貨物列車(D51形式蒸気機関車+貨車45両)が安全側線に進入し、機関車と貨車1両が脱線、直後に下り本線を支障したところに後続の下り列車(電車6両編成)が接触し先頭2両が脱線し上り本線を支障、6分後に上り列車(電車9両編成)が接触し先頭4両が脱線大破した。

(原因) 貨物列車の運転士が信号を見落とし、下り列車の乗務員が列車防護を取らなかったためとされる。列車防護とは二次災害の防止を目的に事故現場付近に他の列車が入らないようにする措置で、古くは信号雷管や信号炎管、最近では列車防護スイッチや防護無線など、各種の方法がある。なお、下り列車の乗客は接触後に電車のドアコックを操作して線路内に降り、駅まで歩いていたところを上り列車が次々に跳ね飛ばした。この事故では、1913年の東岩瀬事故で整備された安全側線と、1951年の桜木町事故で整備されたドアコックが、被害を拡大してしまった。

(影響) 国鉄は全国全線全列車へのATS(列車自動停止装置)取付を決定、1966年4月までに全線区で整備された。各車への信号炎管や防護装置の設置や安全側線の改良も推進された。また、1963年6月に鉄道労働科学研究所が設置され、人間工学面での事故防止研究が本格的に開始された。日本の鉄道史に残る大惨事として社会史に刻まれる。

前置きしておくが私は鉄道マニアではない(公共交通機関が嫌い)
事件・事故マニアの観点で書いております 
ちなみに↑の「三河島事故」からATSが普及した訳である
ところが今回の事故ではまったく役に立たなかった

実際この制御装置といい 現場といい 事故が起こりえないハズなのに
起きてしまったと思う
かつて国鉄時代は戦後直後からこの手の大事故が少なくなかった
未熟な技術と人の目測というあいまいさが招いた事故も多かった
そういう犠牲の上でできたのが「ATS」なのである
実際ATS導入したあたりからこの手の大事故が激減している
分割民営化でJRになってからこの事故が起こるまで大事故は発生せず
「世界一安全な鉄道」とまで言われたはず
なのに大事故が発生してしまった

運転手の未熟だの置石だの何十年前の事故の原因じゃあるまいし
結局そのATSがきちんとした物であったなら事故が起きなかったと

事故の被害はまだまだ拡大しつつあるようで
死者もこの先増えるであろう 負傷者がかなり多い
くわえて場所がマンションということもあって
この先倒壊の危機やら価値の大幅ダウンで住人も悲鳴をあげてるらしい

悲惨極まりない事故である